ハンドルネーム:あの頃はカードゲームが好きだった
あれは俺が小学生の頃の話だ。親の転勤で転校したばかりの頃、新しい友達を作るのに一苦労していた。新しい学校での生活は、最初から困難だらけだった。俺は内向的で、新しい環境に慣れるのが苦手だったから、友達を作るのにも一苦労していた。しかし、カードゲームが唯一の救いだった。それが、クラスメートとのコミュニケーションツールになっていたんだ。
カードは俺にとってただの遊び道具じゃなく、父が買ってくれたパックから出た初めてのレアカードには特別な思いがあった。そのレアカードには、何時ついたのか、傾けて光を当てると分かる独特の傷、というか線が入っていた。決して強いカードではなかったが、父との思い出が刻まれた、かけがえのない一枚だった。線のように入った傷も普段は見えないので気にならないし、何より、自分のカードだと自分だけがすぐ分かるのが気に入っていた。
「あいつ」との出会いも、カードゲームを通じてだった。初めは普通の友達として仲良くしていたが、次第に彼の性格に疑問を抱くようになった。何故なら、「あいつ」は人のものを平気で使ったり、返さなかったりすることが多かったからだ。でも、その時はまだ「あいつ」の本性を知らず、単なる小さないざこざだと思っていた。
カードを盗まれた日、俺はいつものようにカードケースを開けて、みんなとカードゲームをしていた。その時、目を輝かせていたのが「あいつ」だった。カードゲームをしている隙をつかれ、あのレアカードがなくなっていた。最初は落としたのかと思ったが、すぐに「あいつ」のことを疑った。なぜなら、彼が何かを隠すような怪しい動きをしていたからだ。
俺が「あいつ」を問い詰めたときのことは今でもはっきりと覚えている。彼の顔には驚きも悔しさもなく、ただ冷たく「何のこと?」と答えるだけだった。その反応が、すべてを物語っていた。
「あいつ」がロッカーを開ける瞬間を目撃し、その中になくしたはずのキラカードがあるのを見た。傷は隠せない。光にかざすと、特徴的な傷が浮かび上がる。そのキラカードを見た瞬間、俺の中で何かが切れた。その場で、取り返してもよかったが、いや、そうすべきだったが、その時は、本人にパクりを認めさせて取り返そうと考えていた。
放課後、俺は「あいつ」を呼び止めた。「おい、ちょっと来い。」彼は少し戸惑いながらも、非常階段について来た。俺は直接、カードの話を切り出した。「お前、俺のレアカード、知らないか?」彼は当然、何も知らないふりをしたが、俺はその場で引き下がるわけにはいかなかった。
「ロッカーの中にあったぞ。返せよ。」と促すと、彼は突然態度を変え、「だから何だよ、知らないって言ってるだろ!」と怒鳴り返した。しかし、俺はそのキラカードを取り返す決心がついていた。もちろん、「あいつ」も俺のキラカードに傷がついていることを知っている。だが、その時の彼の次の行動は予想外だった。彼は鞄の中からキラカードを取り出し、俺の目の前でビリビリと破り捨てた。その一片一片が、地面に散らばるたびに、俺の心もちぎれていった。
その後の話し合いで、彼は「カードがなくなったのはお前の不注意だ」と開き直った。先生も「こんなことで騒ぐな」と言うばかりで、俺の言い分は全く聞いてもらえなかった。俺はただ無力感を感じるしかなかった。その出来事が、俺が「あいつ」を決して許せない理由だ。
その日以来、俺は「あいつ」とまともに話すことはなかった。クラスメートたちもこの騒動を知り、何人かは俺の味方をしてくれたが、大半は「ただのカードゲームの一枚で大げさな」と取り合ってくれなかった。そんな中で感じたのは、深い孤立感と、裏切られたような失望感だった。
時間が経つにつれて、カードの件は少しずつ忘れ去られていったが、俺の心の中には「あいつ」への不信感と怒りがくすぶり続けた。小学生の心には重すぎる負担だった。それからというもの、俺はなるべく人との深い関わりを避けるようになり、一人でいる時間が増えた。
そして時は流れ、俺は地元を離れ、会社員として働いている。あの事件から何十年も経ち、もはや、「あいつ」の存在を忘れていた。しかし、ある日、母との電話中に偶然、彼の名前が出た。母は地元の近況を話していて、「あの子が大変なことになってるらしいよ」と言ったのだ。
母からのその一言が、久しぶりに「あいつ」の存在を俺の心に呼び戻した。どうやら彼は自営業を始めていたが、ある詐欺に巻き込まれ、大金を失ったらしい。詳しい話は聞かなかったが、その一報を聞いた瞬間、どこかスッキリした気持ちになった。それはまるで、過去のあの事件が何らかの形で報いられたような、不思議な満足感だった。
その話を聞いてから、俺はふと考えた。あれからどれだけの時間が経って、俺はどれだけ変わったのだろうか。彼が遭遇した不運が、俺にとってはどこか遠い世界の出来事のように感じられた。同情するべきか、それともただ遠くから見守るべきか、正直なところ感情が交錯した。
あのレアカードの件から時間が経ち、俺自身も人を許すことの大切さを少しずつ学んでいた。このニュースを聞いたとき、俺の中で何かが変わった気がした。もしかしたら、これが「あいつ」に対する最後の解放なのかもしれないと思った。
その夜、俺は久しぶりにあの日のことを思い出し、あの時失ったレアカードのことを考えた。それはただのレアカードではなく、父との大切な思い出だった。父はもうこの世にいない。そのレアカードを通じて、俺は多くのことを学んだ。信頼、友情、そして裏切り。それらすべてが俺を形成する一部となっていた。
その晩、久しぶりに眠れなくなった。過去のことを思い返すと、まだ心のどこかに「あいつ」への未消化な怒りが残っていることに気づいた。しかし、同時に、彼が経験したであろう苦しみに思いをはせると、複雑な感情が渦巻いた。考えた結果、許せないという結論に至った。いや、許さない。「あいつ」は、大金を失って苦しんでいるだろうが、金なんていくらでも替えが利く。しかし、俺のあの思い出のレアカードは、この世に一枚しかなかった。「あいつ」の今について詳しく知ろうとは思わないが、もっと不幸になってほしい願う。
(掲載に当たっては、本人の許可を得ております。)