ハンドルネーム:水泳好きのミホ
ある日、私は仕事終わりにスポーツクラブのプールへ向かいました。健康のため、そして何より心をリフレッシュさせるためです。20代の事務職として働く私にとって、この時間が一日の中で最も自分だけの貴重な時間。プールの水は静かに揺れ、周りはすでに夕暮れの静けさに包まれていました。
プールサイドを歩いていると、足元がおぼつかない様子の高齢の男性が目に入りました。70歳くらいでしょうか。一人で何か苦労しているように見えたので、思わず「大丈夫ですか?」と声をかけました。その人は一瞬、驚いたような表情を見せた後、にこやかに「ありがとう、大丈夫だよ」と答えました。
その時はただの親切心からの一言だったのですが、それが後にどれほどの騒動を引き起こすことになるとは、この時の私には想像もつきませんでした。
その後、私はいつものように泳ぎ始めました。クロール、そして時には背泳ぎで、日々のストレスを水の中に溶かしていくのが日課です。しかし、この日はどこか心が落ち着きませんでした。なぜか頻繁にプールサイドへ目をやる自分がいる。その理由はすぐに明らかになりました。
何度か往復を繰り返すうちに、ふと気づくと、さっきの高齢の男性がプールサイドを歩いているのが見えます。最初は偶然かと思いましたが、明らかに彼は私の泳ぐコースに沿って、プールサイドを行ったり来たりしているのです。
不安になった私は、泳ぐペースをわざと変えてみました。すると、その人もそれに合わせて動くように見えます。これはもう偶然ではありません。なぜ私を追いかけるのか、その意図がわからず、恐怖が心を支配し始めました。
泳ぎをやめ、プールサイドに上がると、その人はどこかへ行ってしまったようでした。心臓がドキドキと高鳴る中、ロッカールームへと急ぎ足で向かいました。この時、私はただ早くこの場を離れたいという思いでいっぱいでした。
ロッカールームにたどり着いた私は、急いで荷物をまとめました。しかし、心の奥底で何かが引っかかっていました。それは、ただの偶然や勘違いで済まされない、不穏な空気を感じ取っていたからです。もしかしたら、あの高齢の男性は何か悪意を持って私に近づいてきたのではないかという恐怖が、私の心を支配していました。
スポーツクラブを出る際、フロントのスタッフにさりげなく「今日、変わった人はいませんでしたか?」と尋ねました。しかし、スタッフは「特にそんな報告はないですね。何かありましたか?」と返答。私は詳しいことは話さず、「いえ、何でもありません」と答えました。
家に帰る道すがら、私はずっとそのことを考えていました。私が声をかけたことで、何かを勘違いしたのだろうか。それとも、あの人には何か目的があったのだろうか。いずれにせよ、あまりにも不快な経験でした。家に着いてもなかなかその思いから逃れられず、不安な夜を過ごしました。
しかし、その時はまだ知る由もなかったのです。これがただの始まりに過ぎなかったことを。
数日後、私は少し躊躇いながらも、またスポーツクラブへと足を運びました。先日の出来事があまりにも心に残っていたため、できればプールには近づきたくなかったのですが、健康のため、そして何より自分を取り戻すためには、恐怖に打ち勝つ必要があると感じました。
しかし、プールに到着すると、そこにはこの前と同じように、あの高齢の男性の姿が。彼は私を見るなり、にっこりと微笑みました。その笑顔は、一見すると優しそうに見えましたが、私にはどこか不気味で、不安が再び蘇ってきました。
今日は決意を持って、彼の行動を注意深く観察することにしました。すると、彼は確かに私の動きを追っているようで、プールサイドをうろつきながら、時折私の方を見ては微笑んでいました。これはもはや偶然の範疇を超えていると確信し、泳ぐのをやめてスタッフに相談することにしました。
スタッフは私の話を真剣に聞いてくれ、すぐにプールサイドへと来てくれました。彼らが近づくと、その高齢の男性は何かに気づいたように、急に挙動不審になりました。
スタッフがその人に近づくと、彼は一瞬だけ動揺した表情を見せましたが、すぐに取り繕い、「歩いているだけですよ」と言い訳しました。しかし、スタッフが私からの話を伝えると、その人の態度は一変しました。突然、声を荒げて「何の証拠があるんだ!」と逆ギレするようになったのです。
この場面を見ていた他の会員も、何事かと集まってきました。スタッフは落ち着いて事態を収めようとしましたが、その人はますます興奮してしまい、周りにいる人々への不満も爆発させ始めました。
「私は何も悪いことをしていない。ただプールサイドを歩いていただけだ!」と主張するその人の言葉に、スタッフも苦笑い。しかし、私の証言と彼の不審な行動は無視できない事実でした。
最終的に、スタッフはその人をプールエリアから退去させることを決定。しかし、その人は従うことなく、走って逃げ出すという驚きの行動に出ました。プールサイドは滑りやすく、走ること自体が非常に危険です。
その人がプールサイドを走って逃げる姿は、まるで映画の一場面のようでした。しかし、実際に目の当たりにしている私たちにとっては、信じられない光景でしかありませんでした。スタッフも慌てて追いかけますが、なかなか捕まえることができません。
そして、予想通りの事態が起こりました。その人は、滑りやすい床で足を滑らせてしまい、大きな音を立てて転倒。周囲は一瞬静まり返り、その後、人々が駆け寄ってきました。
急いでスタッフが応急処置を行い、救急車も呼ばれました。その人は意識はありましたが、明らかに痛みに苦しんでおり、救急隊員によって担架に乗せられて運ばれていきました。
この一件があってから、その高齢の男性をプールサイドで見かけることはなくなりました。スタッフからは「詳細は伝えられないが、今後はそのようなことがないように注意を払う」という言葉がありました。
この出来事は、私にとって多くの反省点を残しました。親切心から始まった一言が、予想もしない展開を迎えることになるなんて。しかし、同時に、自分の安全は自分で守ることの大切さも学びました。
事件があってから数日後、私は再びスポーツクラブに足を運びました。心のどこかで、また不快な出来事に遭遇するのではないかという不安がありましたが、同時にこの場所が本来提供してくれるはずの健康とリフレッシュメントを求めていました。
プールに到着すると、いつものように穏やかな水面が私を迎えてくれました。スタッフ一人一人が、より注意深く会員の安全を見守っているように感じられました。そして、私も心を新たに、水の中へと身を投じました。
泳いでいると、心身共にリラックスしてくるのを感じます。この日、私は改めて水泳の持つ癒しの力を実感しました。事件以来、ずっと感じていた緊張が、少しずつ解けていくのを感じたのです。
プールから上がり、休憩していると、スタッフが近づいてきました。「最近の出来事でご心配をおかけしましたが、今後はより一層、会員様の安全を守る体制を整えていきます。」と、心温まる言葉をかけてくれました。この言葉が、私にとって大きな安心感を与えてくれました。
その後の日々、私は再びスポーツクラブとプールの日常に戻りました。事件があったことで、一時はどこか他人を疑うようになってしまった自分がいましたが、スタッフと会員の皆さんの温かさに触れ、徐々にその感覚は薄れていきました。
(掲載に当たっては、本人の許可を得ております。)